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先人達の魂を語り継ぐ 第二河和海軍航空隊 河和水上機基地跡 第三スリップ跡 [走り隊]






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愛知県知多郡美浜町古布にある「河和水上機基地跡 第三スリップ跡」に行ってきました。
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「スリップとは?」
 日本語で「滑り」といい、当時水上機を海に降ろしたり、陸へ引き上げるために使われた斜面。
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滑走台は板状のコンクリートを組合わせてあり、練習用として用いられた第三スリップ跡は長さ約44メートル、幅約80メートル、規模は小さいものの、比較的良好な状態で保存されています。

「コンクリートのサイズは?」
 「愛知の戦争遺跡ガイド(あいち・平和のための戦争展実行委員会発行)」によると、海際近くのコンクリートは2.5m×2m×0.8mサイズで統一されているそうです。
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両端部は石垣のように花崗岩で側面が補強され、緩やかに傾斜している様子がよく分かります。
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勾配は1/14(4度)、谷積と呼ばれる石垣の積み方。

半世紀以上経た今も当時の様子を保っています。

「谷積(たにづみ)」
 平石の隅を立てて積む積み方で、落積(おとしづみ)ともいいます。

現在は堤防道路によって遮られており、当時の図面では92メートルとなっているそうです。
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スリップのすぐ側の海面から顔を覗かせている破棄されたコンクリート片。

あの日、ここで何があったのか。

「航空基地概要」
 1943年6月に追浜海軍航空隊知多分遣隊が開設され、整備員の養成が行われました。半年後には河和海軍航空隊となり、同時に小松島海軍航空隊知多分遣隊が開設され水上機の搭乗員の養成が行われるようになったそうです。 後に小松島海軍航空隊知多分遣隊は第二河和海軍航空隊に、河和航空隊は第一河和海軍航空隊になり、終戦間際は水上機による特攻訓練が行われていたそうです。

終戦後、海から離れている第一河和地区は土地が払い下げられると同時に施設は解体され農地へと変遷していきました。

現在では痕跡はほとんどなくなっていますが、所々に草むらの中に施設の土台だったと思えるコンクリートの塊が路傍の石となって転がっています。

第二河和地区は住宅地や工場となっていますが、海辺には水上機を海に降ろしたり陸揚した滑走台が3箇所残っています。

「第二河和海軍航空隊 河和水上機基地跡 第三スリップ跡」」

所在地:愛知県知多郡美浜町古布 国道247号線沿線 河和漁港東側の海岸より約200m
アクセス: 知多バス 「都築紡績前」下車 徒歩約5分





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